ハンセン病の歴史継承を、宮崎駿監督が「もののけ姫」に描いたもの

ハンセン病の歴史継承を、宮崎駿監督が「もののけ姫」に描いたもの

三十一日の「世界ハンセン病の日」を前に、スタジオジブリ宮崎駿監督が、二十八日に都内で開かれた「ハンセン病の歴史を語る 人類遺産世界会議」に登壇した。
東京都東村山市にある国立療養所多磨全生園と交流のある監督は、ハンセン病の歴史の継承を考えるイベントに出席。
『もののけ姫』(1997年公開)の構想中に初めて同園を訪れて以来、園や隣接する国立ハンセン病資料館に度々足を運んできたことや、その衝撃が同作品に与えた影響などを語ったという。

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画像:中日新聞

“初めて訪れたのは二十数年前、代表作『もののけ姫』(一九九七年公開)の構想中に行き詰まり、ノートを手に歩き回るうちにたどり着いた。入所者が植えた桜の巨木の生々しさに圧倒されて、その日は帰宅。後日あらためて資料館を訪問すると、療養所内で使われていた専用通貨などの展示品に衝撃を受けた。

以来通う度に「おろそかに生きてはいけない。作品をどう作るか正面からきちんとやらなければ」と痛感したという。「無難にせず、『業病』といわれたものを患いながらも、ちゃんと生きた人をきちんと描かなくては」と決意し、ハンセン病患者を思わせる人たちを『もののけ姫』に描き込んだ。

主人公の少年アシタカが受けたのろいのあざもハンセン病から着想を得たと明かし、「あざはコントロールできない力とむしばんでいくもの、両方を持つ。そういう不合理な運命を主人公に与えた。それはハンセン病と同じ」と言及。「反応が怖く覚悟が必要だったが、(元患者の)みなさんが喜んでくれて肩の荷が下りた」と語った。

同園は宮崎監督の発案により、入所者が育てた三万本の木や納骨堂などの史跡、資料館について、人権を学ぶ場として永久保存を目指す「人権の森構想」も進めている。
元入所者で資料館の語り部である佐川修さんと平沢保治さんは、「ハンセン病患者は、国の強制隔離や社会の偏見で故郷や肉親を奪われながら、強く生きてきた。人権を尊重する大切さを伝えるため、自分たちがいなくなってからもこの場所を残せるように取り組みを進めていきたい」と語っている。


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