【全文文字おこし】宮崎駿監督が記者会見、辺野古基地問題など語りYOUTUBEで生中継Part2
宮崎駿監督が記者会見、辺野古基地問題など語りYOUTUBEで生中継。インタビュー全文を文字起こし後編。
スタジオジブリ宮崎駿監督が、7月13日に行った辺野古基地問題などに関する記者会見の全文文字起こしPart2です。
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【動画】宮崎駿監督記者会見/外国特派員協会YOUTUBEチャンネル
日本は原発を放棄するべきと思うか
ええ、こんな地震だらけで火山だらけの国で原発なんてもっての外です。
この土地だって、本当に僅かな前に火山の噴火でできた土地ですから。私は東京と埼玉の間に住んでいますが、そこの川沿いの小さな土地にいますけど、実は東京湾に津波か高潮が襲ってきた場合ですね、東京都のハザードマップによると私の家も沈没することになってます。そのスケールたるや壮絶なスケールなんです。そういうことが起こりうる、いや起こるだろう確実に。そういう国に私達はいるんです。
ここ(宮崎監督のアトリエがある東京都小金井市)も津波が来るかという話になると、ここは意見が分かれるところですが、友人たちは多くそんなことはないだろうと言いますけど、でも実際富士山はいつかは爆発して巨大な阿蘇山のような形になるはずですから、この国は本当にわからないんです。わからないということを前提で生きなきゃいけない所なんです。そんな所で原発なんかもっての外です。
ましてですね、沖縄をなんのために基地にするかといったら、それは中国の封じ込めのための最前線でしょ。だけど、なぜアメリカが海兵隊をグアムに持っていこうとしてるかって、最前線に最強部隊を置くことはできないですよ。だってパールハーバーもクラークフィールドもそこに最強の基地があったから日本の海軍は攻撃したんです。必ずそうなりますから、沖縄を拠点にすることはもはやアメリカの戦略上でも良くないことになっているはずです。ベトナム戦争の時とは違うんです。
ですから、辺野古に基地を作っても結局それは自衛隊が使うことになるでしょう。そういうことも含めて考えると、僕は辺野古の埋め立ての基地を作るのは反対です。本当に。そこは標的を作るようなものです。というのも入ってます(笑)
北米で公開される自身の作品について、翻訳などの処理によって本来の監督の意図やメッセージが変わってしまっていると思うことはあるか
宮崎監督:アメリカに私達の作品を紹介することについては、ピクサーのジョン・ラセターが非常に友情と責任を持ってやってくれています。ですから彼を私は信頼しています。本当に一番の親友です。
ついでにちょっとひとつ、イギリスのブリストルにアードマンスタジオっていうのがあるんですが、そこに行ってスタッフと交流した時にですね、彼ら彼女たちが「このDVDにサインしてくれ」って私の作品を持ってきました。完全な海賊版でした。中国製の(笑)どういう風になっているのか私には見当もつきません。
現在手掛けている制作について、将来的に考えている制作について
宮崎監督:ジブリの美術館で短編映画を作っていますので、その10作目にかかっています。これは従来のスタッフ少しとCGの新しいスタッフたちと出会うことになっています。プロデューサーは3年くらいかかるであろうと言っていますが、若いスタッフを3年も拘束するのはよくないので、私はできるだけ早く終わらせたいと思っていますが。それだけでも精一杯ではないかと思っているんです。
中国の台頭について驚異を感じるか、どう対応すべきか
宮崎監督:中国は膨張せざるを得ない内圧を持っています。それをどういう風に時間をかけてかわすかというのが、日本の最大の政治的な課題だと思います。
右傾化する日本の若者の現状について
宮崎監督:スマホを手放してくれれば変わります。
右傾化が見られる一方で、占領国が日本に推しつけたともいわれる平和憲法の維持を強く願う日本人について
宮崎監督:15年にわたる日本の戦争はですね、惨憺たる経験を日本人にも与えたんです。300万人の死者です。この経験は多くの、つまり私達よりちょっと上の世代にとっては忘れがたいことです。それで平和憲法というのはそれに対する光が差し込むような体験だったんです。これは今の若い日本人にはむしろ通じないぐらいの大きな力だったんです。
それで平和憲法は占領軍が押しつけたというよりも、1928年の不戦条約という国際連盟を作るきっかけになったものですけども、その不戦条約の精神を引き継いでいるもので、決して歴史的に孤立したものでも占領軍に押し付けられただけのものでもないんだと思います。
中国韓国は日本の歴史認識を指摘しているが、監督の作品でそうしたアジアの観点を入れたりアジアが共通な笑顔になれるようなものを作ることなどは考えているか
宮崎監督:いろんなアニメーションの作品が考えられますが、今私が作ろうとしている作品は、こんな小さな毛虫の話です。指(でつまむ)だけで死んでしまいます。この小さな毛虫がこんな小さな葉っぱにくっついている生活を描くつもりです。アニメーションは生命の本質的な部分に迫った方が、アニメーションとしては表現しやすいんではないかと思ってるからです。100年や200年の短い歴史よりも、もっと長い何億年にもつながる歴史をアニメーションは描いた方がいいと思っています。
アニメーションでまだ実現していない制作や未完のものはあるか、オタク系アニメについてはどう思うか
宮崎監督:私達が使っていたフィルムがなくなって、絵具で塗ることもなくなりました。それからバックグラウンド、背景を描く時の絵具はポスターカラーを私達は使ってきましたが、ポスターカラーですら生産はもう終わるだろうといわれています。筆もいい筆が手に入りません。それから紙がこの1,2年で急速に悪くなりました。私はイギリスのBBケントというケント紙をペンで描く時は愛用していたんですが、ついに、このとても素晴らしい、僕にとっては宝物のような紙が線を引くとにじむようになりまして。インクが使えなくなりました。何か世界がもっと根元の方でミシミシと悪くなっていくようです。ですから、アニメーションのことだけ論じていてもしょうがないんじゃないかと思います。いつでも、どうしてこれが流行るのかわからないものが流行ります。でもそれも、色々あっていいんじゃないかと僕は勝手に思ってます。
沖縄は軍事的な問題を減少できたら、将来どのような土地になることを望むか
宮崎監督:僕は、沖縄は日本と中国と両方仲良くするところになるといいと思います。それが一番ふさわしいです。そして交易をする、それから非常に大らかな心を持っている人たちですから、ちゃんとやっていける島だと思います。
ずいぶん前です、自分の子供たちが小さかった時に私は二度ほど沖縄の小さな島に行きました。その時の宿のおじさんとおばさんがどれほど子供たちにいい印象を与えたか、かくも大らかで優しい人々がいるんだっていうのが驚くべきことでした。本当に。
二度目の時は、僕は10人子供を大人は僕一人で連れて行きました。それで、10人は4家族の子供たちですが、みんないつもは喧嘩している兄弟がいつも姉さんや兄さんのいうことをきちんと聞いてそのおばさんに本当に感心な子供たちだと褒められました。沖縄を思い出すと、いつもその人たちのことを思います。
政府は辺野古に基地が作れないとなれば普天間基地の固定化に繋がるというが、どのように問題解決されるべきと考えるか
宮崎監督:普天間の基地は移転しなければいけません。それから辺野古を埋め立てるのはいけません。それで第一次民主党の内閣の鳩山総理は日本全体で負担しようという風に発言したんです。僕はまだそれ生きていると思っています。
宮崎監督にとって70年前の大戦とはどういうものか、どんな経験や教訓を得られるか
宮崎監督:あの戦争に至る前、どこで止められたんだろうとよく考えます。そうすると、だんだん遡っていってついに日本とロシアの戦争まで至ります。実はその前に日清戦争というのもありますが、これは結局、東アジアにヨーロッパが来て大砲で開国を迫ったことによるんです。文明の衝突から始まったんですね。でもそれを言っていくと、どんどん責任が曖昧になります。ですから僕はやっぱり、やってはいけない事はやってはいけないんだという事しかないんじゃないかと思います。他国を自国のための犠牲にして侵略することは絶対あってはならないんです。どんな理由をくっつけてもどんなに美化しても美化しきれない、その原則だけは絶対守るべきであるというふうに思います。侵略してはいけないんです。それで私たちは島国ですから、一番やりやすいはずです。
アニメーションの今後をどう考えるか、たとえばドリームリンクのように視聴者のニーズにこたえてすぐ作品を出す形が未来像となるか、あるいは宮崎監督のように長い時間をかけてハイリターンも期待ができるような映画にも未来はあるのか
宮崎監督:幸運と才能さえあればなんとかなるでしょう。
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